PRESSURE DROP 〜TOOTS & THE MAYTALS 〜
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お前さ OH YEH


そう あんたさ OH YEH


お前の力が朽ちるんだ


お前がふるった横暴な権力に OH YEH


お前自身が押し潰される


お前の力が 権力が地に堕ちる


そう お前自身を地に堕とすんだ


その時は感じるはずさ


お前のしてきた悪行がお前の心に過る


その時は感じるはずさ


お前のしてきた不正がお前の心に過る


お前の力が終わるんだ


お前がふるった横暴な権力に OH YEH


お前自身が押し潰される

| 23:36 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
 YOU CAN GET IT IF YOU REALLY WANT 〜JIM MY CLIFF〜
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もし君が本気で望むなら実現する


本気で望むのなら 本当に望むのであるならば


でも一生懸命に頑張らなければならない


何度でも何度でもトライして


ふて腐らず へこたれず トライして


そしたら最後には 君は実現する


迫害を受けても耐えるんだ


勝とうと負けようと 得るものはきちんと得るんだ


本当の望みを見つめて離さないで


今は無理だと思えるかもしれない


でも必ずやり遂げられるさ


もし君が本気で望むなら実現する


本気で望むのなら 本当に望むのであるならば


でも一生懸命に頑張らなければならない


何度でも何度でもトライして


ふて腐らず へこたれず トライして


そしたら最後には 君は実現する


僕は確信してるんだ 聞いてくれ


何事も「ローマは一日にしてならず」だよ


妨害される事だってあるだろう


その闘いが厳しければ厳しいほど


勝利は大きな意味を持つんだ


もし君が本気で望むなら実現する


本気で望むのなら 本当に望むのであるならば


でも一生懸命に頑張らなければならない


何度でも何度でもトライして


ふて腐らず へこたれず トライして


そしたら最後には 君は勝利する

| 23:35 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
 HARDER THEY COME 〜JIMMY CLIFF 〜
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天国は楽園だなんて連中は言うけど


それは死んだ後の話しじゃないか


この世に生まれてから死ぬまでの間は天国に俺の声は届かないのさ


だから太陽が輝き続ける限り


俺は自分の正当な分け前を享受するんだ


奴らが俺達を攻めれば攻めるほど


奴ら自身が敗北してゆくのさ


奴らが激しくやってくればくるほど


奴ら自身が自滅してゆくんだ


誰もかれもがそう


権力者達は俺を押さえつけようとする


俺を地にはいつくばらせて 勝った気でいる


だから俺は言うのさ


あぁ神よ 奴らを許してくれ 奴らは自分達が何をしたのかわかってないんだ


だから太陽が輝き続ける限り


俺は自分の正当な分け前を享受するんだ


奴らが俺達を虐げれば虐げるほど


奴ら自身が敗北してゆくのさ


奴らが激しくやってくればくるほど


奴ら自身が自滅してゆくんだ


誰もかれもがそう


俺は望みの為にこれからも戦い続ける


死んでしまったら何もできないなんて そんなのはわかってるけど


操り人形や奴隷として生きるより


俺は自由な人間として墓に入る方がマシなんだ


だから太陽が輝き続ける限り


俺は自分の正当な分け前を享受するんだ


奴らが俺達を攻めれば攻めるほど


奴ら自身がダメージを受けてゆくのさ


奴らが俺達を搾取すればするほど


奴ら自身が自滅してゆくんだ


誰もかれもがそう

| 23:34 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
 blind lemon Jefferson
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blind lemon Jeffersonを久しぶりに聴く。


うん。やっぱ、いいね。


ブルースってのは芸術的だよ。


ギターが踊って歌うんだ。その上に歌声がかぶさってきてね。


ファンタスティックだよ。


ブラインド・レモン・ジェファーソンはソウルフルな歌声をしている。人間の声ってヤツだ。


ブッカ・ホワイトは「ブルースでは真実が作れる」と語った。


多分それは本当なんだろう。


戦前のブルースはノイズが大きいが、しかし、それはどうでもいい。


そんなことは、どうでもいいのだ。


ノイズなんてのはな。


どうでもいいのだ。


世間にもあらゆるノイズが溢れている。


人間の心からノイズが飛び交っている。


それがバビロンだ。


心の歪みは巧妙に隠され、うわべだけこぎれいにされてバビロンに出荷される。


憐れなものだ。


だからブルースは加速してゆく。

| 19:46 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
 漫・画太郎
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漫・画太郎ってロックンロールだと思うんだよ。パンクを感じる。


漫画という表現媒体、及び漫画業界そのものを舐めてるよね。真面目に不真面目をやってるというか。


とりあえずぶっ壊して、後は知らないよっていう快楽的な投げやり感、やけっぱち感…色んな意味でスゲー漫画家だよ。


漫・画太郎って元々、意外にもジブリのファンでジブリスタジオに就職したかったんだってね。で、入社試験に落ちて、その腹いせに描いたギャグ漫画がデビューのきっかけになったとか。


だから画太郎の漫画はロックンロールなのかもな。


画太郎漫画って「やってらんねぇよ!ざけんなボケが!関係ねぇよ!チュドーン!ギャー!ギャハハー!ざまぁみろ!ウヒャヒャ!」みたいなノリだもんな。


あのノリはジブリへの夢が潰えた画太郎の運命に対する怒りなのかもしれない。


初めて読んだ画太郎の漫画は、まんゆうきだった。衝撃を受けたね。あの狂喜的な狂気、不条理な展開、勝手に自滅してゆく敵、アホ、ナンセンス、グロテスク…。


画太郎漫画は江頭2:50みたく、瞬間的な勢いだけ。その一瞬の爆発力だけが全て。


意味がどうとか、理論的にどうこういったギャグじゃない。本能に訴えかけてくる非常に下卑た笑い。


有名な漫画とかを茶化してパロったり、パクったり、同じコマをひたすらコピーしてリフレインしたり…小学生の頃、本当に笑ったよ。笑いが堪えきれなかったギャグ漫画ってマサルさんと画太郎位かもな。


爆発で死んだり、トラックに轢かれて死んだり、階段転げ落ちて死んだり…なんなんだろうな、不謹慎極まりない描写で溢れているのに笑えちゃうんだよな。


漫・画太郎、フォーエバー。

| 22:13 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
 ゲーム
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超魔界村が面白かったので何かゲームをやりたくなった。


携帯ゲーム機でも買ってみようかなと思い調べてみたんだが…時代の移り変わりに驚愕した。


俺はゲームキューブ以降、新しいハードのゲームは全くやっていなかったから当然か。


携帯ゲームならDSかなと思い調べてみると、色々と種類があってよくわからねぇ。


ソニーのVITAは更にわからねぇ。


ダウンロードコンテンツとかプロダクトコードとか…ネットが絡むとよくわからん。


どうやら今やゲームも、ハードにカセットカートリッジをガチャッとぶち込めばそれでOKという時代ではないらしいな。


ソフトも沢山ありすぎてよくわからねぇ。


ゲームはやはり止めておこう…と思ったのだが、気になるゲームを発見した。


「HOTLINE MIAMI」というインディゲーム。


2Dの俯瞰視点、ファミコン式のドット絵、クールなBGM、80年代のアクションサスペンス映画の様な質感、シンプルなシステム…


これはやってみたいなと思った。メタルギアと超魔界村を足した様な感じのゲームか。


超魔界村をやって思ったのが、ドット絵のシンプルな2Dアクションっていいなという事だった。


そんな時代錯誤なゲームは無いのかと探していたらこのホットラインマイアミに出会った。


プレイ動画を見たが面白そう。所謂、死にゲー。死にながら攻略を覚えてゆくタイプ。魔界村と同じ。


元々インディのPC用ゲームだったらしいが、カルトな人気が出てゲーム機にも移植されたみたい。


人気が出るのもうなずける。センスが良いんだよな。


ミステリアス&サイケでクレイジーなサイコサスペンス・ストーリー。

サクサクとスピーディーにプレイできるシステム。

簡略的なドットグラフィック。

狂気的な空気感。

そしてBGMがカッコいい。全部センスがいい。


映画監督でいうところのロドリゲス、タランティーノ、ベッソンに通じるB級のハイセンスを感じる。


このゲームは暴力描写がえげつないらしいが、ある意味リアルな3Dよりこういう2Dのドット絵の方が禍々しさが増す気がする。


最新のCGグラフィックもそれはそれで良いと思うが、意図的にチープなドット絵を使用する様なセンスを持つクリエイターがもっと増えても良いんじゃないかな。


ファミコン世代の懐古主義的な意味合いではなくて、アート的に見てもシンプルなドットにもそれ特有の素晴らしさがあるからね。


音楽もゲームも、技術や解像度だけが全てじゃないんだな。


本質はやっぱね、アイデアのセンスに尽きるよ。

| 02:10 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
 プラモデル
年に一回くらい何故か無性にガンプラを作りたくなる。


ガンプラ・・・がんもどきのテンプラではない。


あえて言おう…ガンダムのプラモデルであると。


プラモデル作りを趣味にしてみようかしら。


ニッパーとかヤスリをちょっと良いヤツ買っちゃったりしてね。フフフ。


エアブラシとか塗装は流石にちょっと怠いからやんないけど。


・・・


しかし冷静に考えてみるとプラモデルって場所喰うな。


この趣味は却下だな。


むしろ今ちょっと想像しただけでなんかもうプラモデルを作ったような気分になった気がしないでもない。


八割方もう満足だ。


やはり趣味はあれだ。


あれがいい。


トイカメラで風景&野良猫撮影。


これだ。


これでいこう。


ゆくゆくはピンホールカメラの巨匠になってアート関連の雑誌の表紙を飾ってみても悪くはないな。


今さらそんな事は無理?


いやいや、やろうと思えばやれる。


徹底的にきっちりやろうと全身全霊で決意するならば。可能だ。


しかしやろうとは思わないだろう。


結局、座禅に勝る趣味は無いんだろう。


禅はその思想も含めて素晴らしい。


それはマインドの調律のツールと言える。


スティーブ・ジョブズみたいに禅から自分にとって有益な部分をパクって人生の都合の良い道具にする位が丁度良い。


パンクスが最終的にたどり着く精神姿勢は禅だと思う。


"家が焼けてなくなったら月が見えるようになった"

という禅詩句が俺は好きなのだが…


いや、どんだけノーダメージで人生乗り切るつもりだよと突っ込みたくなる。


めでてぇ頭だな。


しかし不要で無用で無益な苦しみは無いに越した事はないのさ。


禅は言う。


「死んだら塵さえ遺せない程度の儚い存在が悲劇の主人公気取ってメソメソ思い上がるな。


"自分苦しんでますアピール"を自分や他人にやらかすその"立派な元気"があるなら、その時間とエネルギーを他の事に使いなさい。


自分がイイ気になればこれみよがしに幸せを自称するクセに、

少しでもその"かわいい特別な自分"が苦境に立たされようものなら、

これみよがしに自分が苦しい、自分が悲しい、自分が寂しいと大袈裟に騒ぎだす。


自分自分自分、何処まで行っても自分の事だけで頭が一杯…


他者の事を考えてる時でさえ結局は、他者に対する"自分の思い"で頭が一杯なだけの事。


結局は"かわいい特別な自分の事しか頭にない"のが現実的事実なのだが、そんな自分の惨めな実像は決してプライドが認める事を許さない。


その歪んだ自己愛は他者に投影され「自分は他者を愛する事ができる、自分は他者を思いやれる」といった具合に、「自分を美化する為の道具」として他者を利用する。


しかしその美化された自己イメージは欺瞞に過ぎないが故にそのギャップが苦しみや虚しさ、疑念や不安等を生み、その苦しみから目を背ける為のモルヒネとして更に他者を利用し貪り搾取する。


・・・どんだけ重症のナルシストだボケが!」


禅にはそんなパンクな勢いがある。


ハッと目を覚まさせてくれる冷水と、ホッと心を暖めてくれる温かなお湯が禅にはある。


パンクと言えば禅の老師とかは時に激烈にキレたりする。


無論、現代人のチマチマしたイライラとかとは話しが違うが。


みみっちい怒りをみみっちく浪費する類いの怒りではない。


勢いが全く無いにも関わらず時に何よりも激しいのが禅だ。


そして今にして思えば、プラモデルやトイカメラ、ピンホールカメラの話しは一体どこに行ったのか?


これが輪廻というものだ。


その話しの全ては…全てが生まれ、全てが消えゆくその一点に消えたのだ。


友よ、その一点が全てなのだ。


その一点を逃すならば全てを逃すのと同じなのだ。


事実、全ては瞬間から瞬間へと消え去り続けている。何一つ掴んでとっておく事はできない。


幸福という名のモルヒネをいくら用意しようと、決して完全には払拭しきれない苦しみの根本原因はそこにあるのだ。


諸行は無常なのだ。


しかし諸行の無常性こそが恒常なる一者の存在を指し示しもする。


友よ。


その恒常なる一者こそが君なのだ。

| 12:57 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
 超魔界村
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何故か、急に超魔界村がやりたくなりスーファミを引っ張り出してプレイした。


超魔界村は、二十歳の頃、同居していた友人とよくプレイした。懐かしいな。俺は一週目を回っただけで満足したが、友人の方は全クリした。


超魔界村はステージ7まで進むと、ステージ1に戻され、そこからまたやり直さなければならない。舐めていやがるぜ。しかも二週目は難易度が上がってるんだよ。ふざけんなよ。


こんなふざけたシステムをプログラミングした開発スタッフはド畜生だぜ。性根が腐っていやがるぜ。


そして女神の腕輪という武器を拾って、ステージ7のボスを倒さなければならないのだが、これが中々キツい。


女神の腕輪は最強武器と称されているが、実際、使い勝手の悪い武器だ。そのお陰でステージ7のボス戦が本当に鬼畜レベルの難しさになる。


俺は二十歳の頃、友人がプレイしているのを見ていたが、そいつもかなり参っていた。精神的にな。それでもやり通し、全クリしたんだから大したもんだよ。


俺はそいつが超魔界村を全クリした様を見て思ったものだった。


人間、本気になれば大抵の事は成就できる…!


いや、マジでそう思った。それ位にステージ7の絶望感は強烈だった。


確かに無理な事は存在する。不可能な事は確かに多々ある。カメハメ波を撃とうとしても絶対に撃てない。


しかし…それでも人間の意志の力には、確かに力がある。それもまた事実だ。


もし当人が「何としてでも…!」と望むならば…大抵の事は成就できる。


ちっぽけなエゴを犠牲にする覚悟があるならば、人間は"一つの事は"ほぼ間違いなく成就できる。勿論、明らかに不可能な事は不可能だが現実的に可能な事はやはり大抵成就できるのだ。


ただ"自分のちっぽけなエゴ"を自身の真の目的、真の望みの為に犠牲にできる人間が滅多にいないだけなのだ。バンドが良い例だろう。


友人が超魔界村を全クリしたのを目撃した事は、俺の作曲に深い影響を与えた。基本的に俺は作曲の才能は無いからな。でも頑張れば、イケるっていう。不屈の精神で何度もチャレンジすればその内まぐれが出る様に宇宙は出来てるんだよ。


で、約十年越しに俺は超魔界村をプレイした訳だが、このゲームは精神の修行と言える。


忍耐力・集中力・不動心


この三つを養う為には最適なゲームだ。この三つがあれば、人間は自身の目的を果たす事ができる。この三つがあれば常に活路は開ける。しかしこの三つが無ければ常に道は塞がる。


超魔界村は敵の出現するポイントがランダムであったりするのだが、これが本当に腹立たしい。システム上、絶対に避けられない所に敵がいきなり出現したりするのだ。技術でどうにかなる話しじゃない。実にムカつく。


武器と鎧の強さがMAXでも一度ダメージを受ければ、裸に戻される。ジャンプ中にダメージを受ければ、暫くコントロール不能になるからそのまま穴に落ちたりする。


実に嫌らしい。実に腹立たしい。絶妙な憎らしさ。


「何だよ今の…ふざけんなよ、やってらんねぇよ」

「こんなん避けられるわけねぇだろ、アホかよ」


等々、超魔界村はプレイヤーの心に潜む"魔"を顕にする。本当に憎たらしいゲームだ。仏陀さんの「怒らない事によって怒りに打ち勝て」という言葉が何度頭を過ったか。


しかし心が自らのその悪魔の囁き(単なるふて腐れとも言う)に打ち勝つ時、活路は開く。その時、超魔界村は攻略できる。


人生全体にも同じ事が言えると思う。否定的な思い…ふて腐れたり、挫かれる思いを心が制する時…人は諸々の運命に打ち勝つ。


約十年越しに超魔界村をプレイして、様々な思いが巡ったよ。


初めはちょっとプレイするだけのつもりだったが、何だかんだで全クリした。ボチボチ苦労した。五時間位かかったと思う。


全クリした時には奇妙な達成感があった。


超魔界村を全クリする事に比べたら、大抵の事は大した事がないんじゃないか。


それ位にステージ7の鬼畜っぷりは凄まじい。ラスボスなんて雑魚なんだよ。ステージ7が半端じゃねぇ。ただごとじゃねぇ。尋常じゃねぇ。初プレイだったら間違いなく一日じゃ全クリできないだろう。


とにかく…超魔界村は俺に色々と大切な事を教えてくれたのだ。


とりあえず暫く超魔界村をプレイして修行に励みたいと思います。

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 仏陀言葉
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・私は悩むこともない。また喜びも存在しない。独り坐っている私に、不快が襲うこともない。

悩みの生じた者には、喜びが起こる。喜びの生じた者には悩みが起こる。

修行僧は、喜ぶこともなく、悩むこともない。友よ。このように知れ。



・生は死に導かれる。命は短い。老いに連れ去られた人には、救いのよるべが存在しない。死にはこの恐怖のあることを観察して、世の中の誘惑のもとを捨てて、静かな安らぎを願え。



・友よ。私は立ち止まる時に沈み、あがくときに溺れるのです。私は、このように立ち止まることなしに、あがくことなしに激流を渡ったのです。



・"歓喜の愛にもとづく生存が尽き、表象や意識作用も尽きるが故に、感受作用が止滅するが故に、静止がある"…友よ、生ける者どもの解脱、解き放たれること、遠ざかり離れることを、私はこのように知っているのです。



・清浄な行者たちは、過ぎ去ったことを思い出して悲しむこともないし、未来のことにあくせくすることもなく、ただ現在のことだけで暮らしている。それだから、顔色が聡明なのである。ところが愚かな人々は、未来のことにあくせくし、過去のことを思い出して悲しみ、そのために、萎れているのである。



・諸々のつくられた事物は、全て無常である。生じては滅びる性質のものである。それらは生じては滅びるからである。それらの静まるのが、安楽である。



・執着するよりどころによって人間に憂いが起こる。実に、執着するよりどころのない人は、憂うることがない。



・私は、時を要するものを捨てて、現に目のあたり経験されることを追求する。友よ。愛欲は、実に時を要するものであり、苦しみ多く、悩み多く、禍いがここに甚だしい。

この理法は、現に目のあたり体験されるものであり、時を要せず、"来り、見よ"と言われたものであり、導くものであり、叡智ある人々が各自みずから体験すべきものである。



・名称で表現されるもののみを心の中に考えている人々は、名称で表現されるものの上にのみ立脚している。名称で表現されるものを完全に理解しないならば、彼らは死の支配束縛に陥る。

しかし名称で表現されるものを完全に理解して、名称で表現をなす主体が"有る"と考えないならば、その人には死の支配束縛は存在しない。煩悩は、もはやその人には存在しない。



・"私は勝れている"、"私は等しい"また"私は劣っている"と考える人は、それによって争うであろう。これら三つのありかたに心の動揺しない人には、"勝れている"とか、"等しい"とかいうことは存在しない。



・心を、あらゆる事柄から離れるように抑制すべきではない。すでに自制されている心を抑制すべきではない。悪の起こるところから離れるように、それぞれの場合ごとに心を抑制すべきである。



・水も、地も、火も、風も侵入しないところ…そこで、大水流は止まる。そこで渦巻は止む。そこで名称と形態とは、すっかり滅びる。



・世間には五つの愛欲の要素(五感の対象)がある。心は第六のものである、と説かれている。ここで欲求を断ったならば、このように苦しみから解脱する。



・怒りを断ち切って、安らかに臥す。怒りを断ち切って、悲しまない。その根は毒であり、その頂きは甘味である怒りを滅ぼすことを、聖者たちは称賛する。怒りを断ち切ったならば、悲しむことも、悩むこともない。



・悪いことをするよりは、何もしないほうがよい。悪いことをすれば、のちに苦しむ。善いことはするほうがよい。なして、のちに悔いがない。



・欲の想いを離れ、みめ麗しさを想うことなく、欲情も消え失せた人は、深淵に沈むことがない。




悪魔
「立派な人は寿命を軽んじない。乳に飽いた赤子のようにふるまえ。死の来ることがないからである」


仏陀
「人間の寿命は短い。立派な人はそれを軽んぜよ。頭髪に火がついて燃えている人のようにふるまえ。死が来ないということはあり得ないからである」




悪魔
「昼夜は過ぎ去らぬ。生命はそこなわれない。人の寿命はめぐり輪廻する。車輪の輻がこしきのまわりをめぐり廻転するように」


仏陀
「昼夜は過ぎ行き、生命はそこなわれ、人間の寿命は尽きる。小川の水のように」




悪魔
「かけ廻るこの心は、虚空のうちにかけられた罠である。その罠によって、そなたを縛ってやろう。修行者よ。そなたは私から脱れることはできないであろう」


仏陀
「快く感ぜられる色かたち、音声、味、香り、触れられるもの、これらに対する私の欲望は去ってしまった。そなたは打ち負かされたのだ。破滅をもたらす者よ」



・色かたちと、感受作用と、表象作用と、形成されたもの、…私はこれではない。またこれは、私に属するものではない。このように観じて、私はそれらについての執着を離れる。このように執着を離れて、安穏に達し、一切の束縛を超えている者を、魔軍がいかなる場所を探し求めても、見出だすことができなかった。




悪魔
「修行者よ。眼は私のものです。色かたちは私のものです。眼が対象に触れて起こる識別領域は私のものです。修行者よ。そなたは、どこへ行ったら、私から脱れられるだろうか?

修行者よ。音声は私のものだ。聴覚作用は私のものだ。聴覚作用が対象に触れて起こる識別領域は私のものだ。そなたは、どこへ行ったら、私から脱れられるだろうか?

嗅覚作用は私のものだ。香りは私のものだ。嗅覚作用が対象に触れて起こる識別領域は私のものだ。そなたは、どこへ行ったら、私から脱れられるだろうか?

舌は私のものだ。味は私のものだ。舌が対象に触れて起こる識別領域は私のものだ。そなたは、どこへ行ったら、私から脱れられるだろうか?

身体は私のものだ。触れられるものは、私のものだ。そなたは、どこへ行ったら、私から脱れられるだろうか?

心は私のものだ。心で考えられるものも、私のものだ。心の接触から起こる識別領域は私のものだ。そなたは、どこへ行ったら、私から脱れられるだろうか?」


仏陀
「悪しき者よ。眼はそなたのものである。色かたちはそなたのものである。眼の接触から生じた識別領域は、そなたのものである。

しかし眼が存在せず、色かたちが存在せず、眼の識別領域が存在しないところには、そなたの行くべき通路は存在しない。

悪しき者よ。嗅覚器官はそなたのものである。香りはそなたのものである。嗅覚器官の接触から生ずる識別領域は、そなたのものである。

しかし嗅覚器官が存在せず、香りが存在せず、嗅覚の接触から生ずる識別領域が存在しないところには、そなたの行くべき通路は存在しない。

悪しき者よ。舌はそなたのものである。諸々の味はそなたのものである。舌の接触から生ずる識別領域は、そなたのものである。

しかし舌が存在せず、諸々の味が存在せず、舌から生ずる識別領域が存在しないところには、そなたの行くべき通路は存在しない。

身体はそなたのものである。触れられるものは、そなたのものである。身体の接触から生ずる識別領域は、そなたのものである。

しかし身体が存在せず、触れられるものが存在せず、身体から生ずる識別領域が存在しないところには、そなたの行くべき通路は存在しない。

悪しき者よ。心はそなたのものである。考えられるものは、そなたのものである。

しかし心が存在せず、考えられるものが存在せず、心の接触から生ずる識別領域の存在しないところには、そなたの行くべき通路は存在しない」


悪魔
「人々が"これは我がものである"と語るところの物、"これは我がものである"と語る人々…そなたの心がそこにとどまるならば、修行者よ。そなたは、私から脱れることはできないであろう」


仏陀
「人々が"我がものである"と執着して語るところの物、それは、私に属するものではない。執着して語る人々がいるが、私は彼らのうちの一人ではない。このように知れ。悪しき者よ。そなたは、私の行く道をも見ないであろう」



・黄金や銀の山があったとしても、またそれを二倍にしても、それだけでは、一人の人を満足させることはできない。このことを知って平らかな心で行うべし。苦しみと苦しみの起こるもとを見た人は、どうして欲望に傾くであろうか。世間における制約は束縛であると知って、人はそれをみちびくために修学すべし。

| 23:58 | - | comments(0) | trackbacks(0) |
 仏陀言葉
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・ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。車をひく牛の足跡に車輪がついて行くように。



・ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人につき従う。影がその体から離れないように。



・「彼は、我を罵った。彼は、我を害した。彼は、我にうち勝った。彼は、我から強奪した」という思いを抱く人には、怨みはついに息むことがない。



・「彼は、我を罵った。彼は、我を害した。彼は、我にうち勝った。彼は、我から強奪した」という思いを抱かない人には、ついに怨みが息む。



・実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。



・「我らは、ここにあって死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。この理を他の人々は知っていない。しかし、この理を知る人々があれば、争いはしずまる。



・この世のものを浄らかだと思いなして暮らし、感官(五感)を抑制せず、食事などの節度を知らず、怠けて勤めない者は、悪魔にうちひしがれる。弱い樹木が風に倒されるように。



・この世のものを不浄であると思いなして暮らし、感官(五感)をよく抑制し、食事などの節度を知り、信念あり、勤め励む者は悪魔にうちひしがれない。岩山が風にゆるがないように。



・まことではないものを、まことであると見なし、まことであるものを、まことではないと見なす人々はあやまった思いにとらわれて、ついに真実(幸福)に達しない。



・まことであるものを、まことであると知り、まことではないものを、まことではないと見なす人は、正しき思いに従って、ついに真実(幸福)に達する。



・屋根を粗雑に葺いてある家には雨が洩れ入るように、心を修養していないならば、情欲が心に侵入する。



・屋根をよく葺いてある家には雨の洩れ入ることが無いように、心をよく修養してあるならば情欲の侵入することがない。



・放逸に耽るな。愛欲と歓楽に親しむな。おこたることなく思念をこらす者は大いなる楽しみを得る。



・旅に出て、もしも自分よりもすぐれた者か、または自分にひとしい者に出会わなかったら、むしろきっぱりと独りで行け。愚かな者を道伴れにしてはならぬ。



・「私には子がある。私には財がある」と思って愚かな者は悩む。しかしすでに自己が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。



・もしも愚者がみずから愚であると考えるなれば、すなわち賢者である。愚者でありながら、しかもみずから賢者だと思う者こそ、「愚者」だと言われる。



・あさはかな愚人どもは、自己に対して仇敵のようにふるまう。悪い行いをして、苦い果実をむすぶ。



・愚かな者は、悪いことを行っても、その報いの現れないあいだは、それを蜜のように思いなす。しかしその罪の報いの現れたときには、苦悩を受ける。



・悪い友と交わるな。卑しい人と交わるな。善い友と交われ。尊い人と交われ。



・真理を喜ぶ人は、心きよらかに澄んで、安らかに臥す。聖者の説きたまうた真理を、賢者はつねに楽しむ。



・すでに(人生)の旅路を終え、憂いを離れ、あらゆることがらにくつろいで、あらゆる束縛の絆をのがれた人には、悩みは存在しない。



・やすらいに帰した人…そのような人の心は静かである。言葉も静かである。行いも静かである。



・善をなすのを急げ。悪から心を退けよ。善をなすのにのろのろしたら、心は悪事をたのしむ。



・人がもしも悪いことをしたならば、それを繰り返すな。悪事を心がけるな。悪がつみ重なるのは苦しみである。



・人がもしも善いことをしたならば、それを繰り返せ。善いことを心がけよ。善いことがつみ重なるのは楽しみである。



・荒々しい言葉を言うな。言われた人々は汝に言い返すであろう。怒りを含んだ言葉は苦痛である。報復が汝の身に至るであろう。



・もしも人が自己を愛しいものと知るならば、自己をよく守れ。自己こそ自分の主である。他人がどうして自分の主であろうか?自己をよくととのえたならば、得難き主を得る。



・自分がつくり、自分から生じ、自分から起こった悪が知慧悪しき人を打ちくだく。極めて性の悪い人は、仇敵がかれの不幸を望むとおりのことを、自分に対してなす。



・自ら悪をなすならば、自ら汚れ、自ら悪をなさないならば、自ら浄まる。浄いのも浄くないのも、各自のことがらである。人は他人を浄めることができない。



・たとえ他人にとっていかに大事であろうとも、自分ではない他人の目的のために自分のつとめをすて去ってはならぬ。自分の目的を熟知して、自分のつとめに専念せよ。



・たとえ貨幣の雨を降らすとも、欲望の満足されることはない。「快楽の味は短く、後に苦痛をもたらす」と知るのが賢者である。



・怨みを抱いている人々のあいだにあって怨むこと無く、我らは大いに楽しく生きよう。怨みをもっている人々のあいだにあって怨むこと無く、我らは暮らしていこう。



・悩める人々のあいだにあって、悩み無く、大いに楽しく生きよう。悩める人々のあいだにあって、悩み無く暮らそう。



・貪っている人々のあいだにあって、患い無く、大いに楽しく生きよう。貪っている人々のあいだにあって、貪らないで暮らそう。



・我らは一物をも所有していない。大いに楽しく生きて行こう。光り輝く神々のように、喜びを食む者となろう。



・勝利からは怨みが起こる。敗れた人は苦しんで臥す。勝敗をすてて、やすらぎに帰した人は、安らかに臥す。



・愛欲にひとしい火は存在しない。博打に負けるとしても、憎悪にひとしい不運は存在しない。このかりそめの身にひとしい苦しみは存在しない。やすらぎにまさる楽しみは存在しない。



・飢え(欲望)は最大の病であり、形成された存在(心身)は最もひどい苦しみである。この理をあるがままに知ったならば、ニルヴァーナという最上の楽しみがある。



・愛情から憂いが生じ、愛情から恐れが生ずる。愛情を離れたならば憂いが存在しない。どうして恐れることがあろうか?

・快楽から憂いが生じ、快楽から恐れが生じる。快楽を離れたならば憂いが存在しない。どうして恐れることがあろうか?

・欲情から憂いが生じ、欲情から恐れが生じる。欲情を離れたならば、憂いは存在しない。どうして恐れることがあろうか?

・妄執から憂いが生じ、妄執から恐れが生じる。妄執を離れたならば、憂いは存在しない。どうして恐れることがあろうか?



・怒りを捨てよ。慢心を除き去れ。いかなる束縛をも超越せよ。名称と形態とにこだわらず、無一物となった者は、苦悩に追われることがない。



・沈黙している者も、非難され、多く語る者も、非難され、少し語る者も、非難される。世に非難されない者はいない。



・ただ謗られるだけの人、またただ褒められるだけの人は過去にもいなかったし、未来にもいないであろう。現在にもいない。



・身体がざわめき立つのを、まもり落ち着けよ。身体について慎んでおれ。身体による悪い行いを捨てて、身体によって善行を行え。

・言葉がざわめき立つのを、まもり落ち着けよ。言葉について慎んでおれ。言葉による悪い行いを捨てて、言葉によって善行を行え。

・心がざわめき立つのを、まもり落ち着けよ。心について慎んでおれ。心による悪い行いを捨てて、心によって善行を行え。



・「一切の形成されたものは無常である」

「一切の形成されたものは苦しみである」

「一切の事物は我ならざるものである」

と明らかな知慧をもって観るときに、人は苦しみから遠ざかり離れる。これこそが人が清らかになる道である。



・あれこれ考えて心が乱れ、愛欲がはげしくうずくのに愛欲を浄らかだと見なす人には愛執がますます増大する。この人は実に束縛の絆を堅固たらしめる。



・あれこれの考えをしずめるのを楽しみ、常に心にかけて、身体などを不浄であると観じて修する人は、実に悪魔の束縛の絆をとりのぞき、断ち切るであろう。



・自ら自分を励ませ。自ら自分を反省せよ。自己を護り、正しい念いをたもてば、汝は安楽に住するであろう。実に自己は自分の主である。自己は自分のよるべである。故に自分をととのえよ。



・現世を望まず、来世をも望まず、欲求がなくて、とらわれの無い人、彼を我は幸福な人と呼ぶ。



・愛欲よ。私は汝の本を知っている。愛欲よ。汝は思いから生じる。私は汝の事を思わないであろう。そうすれば、私にとって汝はもはや現れないであろう。



・世間における種々の美麗なるものが欲望なのではない。欲望は、人間の思いと欲情なのである。世間における種々の美麗なるものはそのままいつも存続している。しかし思慮ある人々はそれらに対する欲望を制してみちびくのである。



・人間のうちにある緒の欲望は、常住に存在しているのではない。欲望の主体は無常なるものとして存在している。束縛されているところのものを捨て去ったならば、死の領域は迫って来ないし、さらに次の迷いの存在を受けることもない、と、我は説く。



・緒の欲望にしたがっているあいだは、心が満足を得ることが無かった。しかし欲望から退き休止することを反省して見て、明らかな知慧によってよく満足した人々は、実に満足しているのである。



・欲望によっては満足することがないから、明らかな知慧をもって満足するほうが勝れている。明らかな知慧をもって満足した人を、愛執が支配することはできない。



・愛欲を貪っている人々は実にわがままであって、なしてはならぬことを楽しんでいる。死の危機が迫って来るのをかれらは見ない。…人生は短いのに。



・愛するものから憂いが生じ、愛するものから恐れが生ずる。愛するものは変滅してしまうから、ついには狂乱に帰す。



・世間の憂いと悲しみ、また苦しみはいろいろである。愛するものに由って、ここにこの一切が存在しているのである。愛するものが存在しないならば、このようなことは決して有り得ないであろう。



・それ故に、愛するものがいかなるかたちでも決して存在しない人々は、憂いを離れていて、楽しい。



・どの方向に心で探し求めてみても、自分よりもさらに愛しいものをどこにも見出ださなかった。そのように、他人にとってもそれぞれの自己が愛しいのである。それ故に、自分の為に他人を害してはならない。



・花を摘むのに夢中になっている人が、未だ望みを果たさないうちに、死がかれをさらっていく。この世、この身は泡沫のようなものであると知り、陽炎のようなはかない本性のものであると、さとったならば、この世で悪魔の花の矢を断ち切って、死王の見られないところへ行くであろう。



・他人が怒ったのを知って、それについて自ら静かにしているならば、その人は、自分をも他人をも大きな危険から守ることになる。

・他人が怒ったのを知って、それについて自ら静かにしているならば、その人は、自分と他人と両者のためになることを行っているのである。

・自分と他人と両者のためになることを行っている人を、「弱い奴だ」と愚人は考える。理を省察することもなく。

・愚者は、荒々しい言葉を語りながら、「自分が勝っているのだ」と考える。しかし傲りを忍ぶ人にこそ、常に勝利があるのだ、と言えよう。



・心をしずめる実践の修養のほかに、感官を制御することのほかに、一切を捨て去ることのほかに、生ける者どもの平安を、我は認めない。
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